novel

笑わない女神

櫻 朔弥

あの人の心の深い深い闇を照らす光に
僕が、彼女の光になりたい。

そう 思ったのは直感。
でも…そう思ったのは、彼女にとって迷惑でしかなかったのだろうか。
あの時に感じた 「深い闇」。
そんなものは私に無いと言われたらそれまでだったけれど
彼女は、そんな言葉さえ口に出さずに うっすらと微笑む。
艶やかな程に切なげな笑み。
そんな仕草が 僕を捕らえて離さなかった。
それは それは 僕にとって 味わった事のない闇。
僕がどんなに追いかけても 追いつくことの無い年月を纏うようにして
彼女は ただ 静かに微笑む。

見たいのは そんな微笑みじゃなくて
心の底から零れるような 明るい光のような笑顔なのに
それを きっと 知っていながら
自ら拒むように 薄幸な微笑みを浮かべる。
それは極めて 自虐的な。

そんな 歯痒い歳月が悪戯に過ぎて
僕が 俺 に変わっても
この思いは…変わらなくて

そして それだけではなく
彼女の…態度も一向に変わらない
相変わらずの子供扱い
背だって 貴方より高くなったし
働けば 貴方を食べさせていけるくらいの事はできる
0歳と10歳ならかけ離れていると思えたって
25歳と35歳ならニュアンスはかなり違う

それでも 貴方は 俺を ただ 男として 認めてくれない

「そんな冗談を言うなんて時間が勿体無いだけだわ…レンちゃん」

後に続く言葉は
『あなたに相応しいかわいい子がきっと現われるから』

嫌いなら
嫌いだ!…と
言われた方がまだ 諦めも付く
彼女は 未だに
俺を圏内に入れてくれない

永遠に 俺は 彼女にとって 
知り合いの「レンちゃん」でいることしか許されないのだろうか

この世の中には
星の数ほど というように 
様々な男が居て 女が居て… 人が居て

そんな事くらい 誰に言われなくったって 
充分にわかっているけれど
そんな事言われたって 引き下がれない程に
気になって 仕方が無い
気にして欲しくて 仕方ない

彼女の存在だけが 俺を乱す
恋なのか 愛なのか 好きなのか 憧憬なのか
わからない程に 彼女の存在が俺を蝕んで
脇目なんて言葉も知らないまま
彼女だけを追い続けた

何年かけても全く距離の狭まらない追いかけっこ
そろそろ…挫けどき? そんな暇なんか無い。

時間にこだわり続ける彼女を
一秒でも早く捕まえたい
この腕で
抱きしめて
2人の間には 何もないと
究極 皮膚が触れ合えば
2人の間に 時間なんて
ましてや 空気すら入り込む事ができない事を
伝えたい…

貴方がこだわっていたことは
俺にとってこんなに些細なことでしかないんだと

教えたい
彼女に

他の誰でもなく
この俺で
彼女に知って欲しい

こんなのは…ワガママだろうか?
だから まだ 子供なのだと 思われるだろうか
笑われるだろうか

笑われるなら
いっそ その方が気楽
笑っているんだって 知ることができるだけ 気楽
それなのに
彼女は 少し寂しげに 少し困り顔で 微笑む


それは とても…可もなく不可もなく といわんばかりな


好き過ぎて…息が詰まりそうになる俺を
どうして そんなに 穏やかな顔で見ていられるんだろう
まるで 親戚の子供を見るような眼
あながち 外れてもいない この関係

ここから 抜け出したい ぶち壊したい
築きたいのは 親戚関係でも 師弟関係でも 兄弟愛でもない
他でもない

全部…言わなければ分からない?

振り向いてくれるなら
何だって 
叫んだって 
構わない
全部 全部 この想い全て

恥ずかしくも 何とも無い
貴方が振り向いてくれるなら 何だってできる

何だって… できるのに…




「レン!」
声に
はっ!と、顔を上げれば同じ顔がふたつづつ、計四つ、自分を覗き込んでいた。
「色男は考え込む姿もサマになってて憎いねぇ〜」
軽い調子で、ケタケタと栗色の髪を真ん中から分けた黒いパーカーの青年が笑う。
その男と同じ顔で、同じ髪色に黒いポロシャツの青年がパーカーの青年を小突いた。
「ひがむなって。リツト」
実際ひがんでいない事はだれもがわかっているが、これはお約束というやつだ。
「うっせーハヤト。…ってタツヤ!フォローしてくれたっていいんじゃない?!」
「てか、レンさん相手にフォローのしようがないって」
モデルも羨む程の美形と言われたレンを相手に、ひがまない方がありえない。
タツヤと呼ばれた、黒髪に黒いTシャツの青年が苦笑しながらリツトに言った。
リツトと呼ばれた青年がオーバーに腕を上げる。
「うわー!ひでぇ。俺の仲間はリュウちゃん!君だけダヨー」
タツヤに瓜二つ。黒髪・黒ジャケットの青年が、タツヤと同じ顔で苦笑する。
「そうやって最後には僕の所へ帰ってくるんだよね。リツト」
「うわっ。なんか今刺があったような??リュウちゃん」
「まさかー。そんな事ないよー」
へらへらっと、リュウが笑う。この笑みは、ごまかしではなく天然だ。
……………
考え事をしていたとはいえ、コイツらの気配に気がつかないとは不覚。
レンは、ため息をつきながら頭をかいた。
「お前ら……俺に用があったんじゃないのか?漫才始める前に、俺に声をかけた責任くらい取って欲しいんだが」
「あっ!!」
一斉に黒服4人組が固まる。

……

「まさか…とは思うが…」
横一列に自分の前に並んだ青年達をレンは端から見比べた。
「…あは…なんていうかたまたま見かけたからついって言うか」
リツトが人差し指でポリポリと頬をかきながら作り笑いを浮かべる。
「…ふぅん。たまたま(・・・・)見かけたからつい(・・)…ねぇ…」

笑顔のレンに4人全ての背筋が凍る。
恐ろしい程に整った笑顔の…目が笑ってない。
「レンごめん。でも、見かけたら声かけちゃうのは普通でしょ?」
切り出したのはリュウだった。
一瞬、きょとんとして……噴出す。
「あー、確かにそうだよな。普通(・・)
普段の笑顔に戻ったレンに安堵した矢先、怖いもの知らずなリツトが…
「そうだよ〜。知り合いがいたら声かけて普通でしょ?知り合いどころか、叔父(おじ)さんなんだしさ!」
厳密に言えば、リツトの叔父ではない。
レンの兄の子供がリュウであり、したがってレンはリュウの叔父で、リュウはレンの甥になる。
ただ、リュウの父親とレンは歳が離れているし、リュウの父親は若くしてリュウを授かった為、レンとリュウの歳は2歳しか違わない。

しかし…

「…俺はお前の叔父じゃなーーーいっ!!」

レンの怒声に半笑いな悲鳴を上げてリツトが逃げた。
「いくつになっても、恥ずかしい兄貴だよ」
肩を竦めて呟いたハヤト共に、タツヤがその後を追う。
「ごめんね。考え事の最中に」
申し訳なさそうにリュウがレンを見上げた。
「まぁ、ムダに考え過ぎなくてよかったのかも」
それほど歳は違わないけれど、弟のように暮らしてきたリュウはレンにとって特別な存在だった。
「レン…もしかして要さんのこと…?」
この甥は、物静かで優しい分だけ、人の想いを汲み取る所に長けていた。
そんな性格のせいで苦しんでいた時もあったようだけれど、これは誇るべき長所だとレンは思う。
図星ならもう笑うしかない。
「大当たり」
レンが答えれば、申し訳なさそうに「ごめん」とリュウが呟いた。
「え、なんで“ゴメン”?」
「…だって、失礼だったなって。そんな深く考えてたことを追求するような真似…」
自分の失態を恥じて、リュウの顔は今にでも泣き出しそうに見えた。
レンは笑って、リュウの髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。
「長い付き合いだしなぁ。俺が本気で集中して考えることなんて、それくらいしかないって解ってくれてるって事だろ?」
その言葉に、リュウは俯いて手早く袖でゴシゴシと顔を拭った。
「もっと自信持てって。時には間違えたって、怒られたっていいじゃん。お前はさ、リツトの半分くらい、気楽に考えていいと思うけど」
「リツトと同じくらい…じゃないの?」
赤い目で聞き返すリュウに、わざと渋い顔で返す。
「リツトが2人じゃ…悪いけど体がもたない」

………

「あはっ。そうかもね」
涙目で笑うリュウの顔はすっかり安堵の表情だった。
「これから、もんじゃ食べに行くんだけどレンもどう?」
「悪い。今日は夜勤だからさ、あんまり時間ないんだ」
「そっかぁ。じゃ、また…家でね」
「あぁ。お前らも、遊び歩き過ぎると卒業できないぞ」
「うん。気をつける」
素直に頷いて、リュウは他の3人の後を追うように走っていった。

「…なんであいつら黒尽くめだったんだろ?」
黒い服でもんじゃを食いに行くのが、最近の高校生の流行なのか?
「それにしても…」
(迂闊だったなぁ)
逢魔ヶ時、ぼんやりと考え事をするのが最近の日課だった。
暗くなりかける濃い青や紫の空、黒い闇、全てが
“要”を思わせる。
正確に言えば、その髪・容姿・雰囲気。
毎日違う、その光景は、同じ物にはならない筈なのに何故か懐かしさを抱かせる。
そして、時に 哀愁さえ。

九耀苑(くようえん) (かなめ)

リュウとタツヤの母親の姉。
自分の兄の 妻の姉
義理の姉。


好きになっていけない道理はない。
昔ながらのしがらみはあっても、血縁は無いに等しい。


自分と同じ苗字の女性。
近くて 遠い 女性。

「……ため息しか出ない…か」


出勤時間にはまだまだある。
もんじゃを食べたって余裕だったけれど、そんな気分にはなれなかった。
少し早めだけれど、会社に向かう事を決めて歩き出す。
時間潰しのアプリは携帯に詰まっているけれど、こんな時こそ、くだらない話でいいから…要と話が出来たら…と思う。
アドレスは聞いているけれど、メールを送れない。
言葉なら忘れられる日がくるかもしれないけれど、メールは消さない限り残る。
嬉しい言葉も、辛い言葉も、要から貰ったメールならきっと捨てられない。
そんな事で女々しく、ダラダラとしてしまうだろう自分を想像するのも嫌だ。
だから、メールが送れない。

自分が3男ではなく長男だったら、せめてリュウの父と近い歳だったら…
思えばキリがない。そして現実は変わらない。
努力していつか、変えられるものがあるとしたら
きっと……それはもう心しかない。

変わるのは…

“要”の心か

“レン”の心か。



end


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