novel

突然の偶然

櫻 朔弥

ぶぉーん。
不気味な音と共に


21:08


近隣一帯が停電した。


「マジですかーー」
あと22分で夜勤と交代だったハズの咲良(さくら)の悲鳴が店内にこだました。
真っ暗な店内。もう、何年もここに勤めている咲良だが、停電は初めてだった。
今日に限って…今日に限って…、同じく21:30分上がり予定だった同僚が、「急用ができた」と先に帰宅。その矢先の停電だった。

店内がノーゲストだった事は感謝しつつも、何故…1人の時に限ってこんなハメに…。
有線すら聞こえない、静まりかえったコンビニの中で呆然と立ち尽くしていると、自動ドアの外で何かが動いた。
ガタガタとドアを揺らし、自力でドアをこじ開けようとしている。
「!!」
恐怖のあまり声も出ず、自動ドアを注視したまま動けない。
ドアは、鈍い音を出して静かにこじ開けられていく。
「じ…じゅ…準備中ですっっ!!」
震える声で、精一杯振り絞ったら
「咲良ちゃん??大丈夫?外崎(とのさき)さんは?」
返って来た声は、聞き覚えのある声だった。
「…(れん)さん??」
「そう。裏に回ったら、ほら、カードリーダーも落ちてて認証されないしさ。開かないからこっちに回ってきたんだけど」
そう言うと突然何かが光った。
まぶしくて、目を細めた咲良に、「ごめんごめん」と謝り、「俺です」と顔を照らして見せる。光ったのは怜が手にしていた携帯だった。
「で、外崎さんは?」
「急用が出来たって…停電前に帰っちゃってて…」
「1人でいたの?店長にも夜間の女の子1人は特に注意って言われてるでしょ?」
「そうなんですけど…急用だっていうし、夜勤来るまでの数十分だし大丈夫かなって思ってたら…こんな事になっちゃって…ごめんなさい…」
「いや、俺に謝る事はないけど、ほんと危ないよ。まぁ。外崎さんが一度言い出したら聞かないのもわかるけどね。今日は、たまたま俺が早く着いたから良かったけどさ」
言い終わると同時に、怜の携帯が黒電話音で鳴り響いた。
「はいもしもーし?」
『あぁ、良かった。レンさん?俺、今地下鉄なんっスけど、エライこっちゃになってて…ちょっと、30分までに行けそうにないんですよ。レンさんは大丈夫ですか?』
受話器からもれる音で、咲良にも解る。今日の夜勤の二人目、笹原だ。
「俺は大丈夫。今日は早めに家出たからさ。今着いたとこだよ。こっちは大丈夫だけどそっちはどうなの?」
『なんだか、非常電源も利かないらしいんスよ。手動でドア開けたりして降りてく人はいるんですけど、一応、電車を降りないでくれっていう案内がかかってて、凄い状態で…』
受話器の向こうから、どよめき・複数の着信音・乗務員らしき声・罵声、さまざまな音が入り混じり、車内の様子が窺える。
「こっちの事は気にしないでさ、ゆっくりでいいから、気をつけて来いよ」
怜の言葉に、「すいません」と、締めくくって笹原の電話は切れた。
「と、いう事で…タイムカードも落ちてるんだよね…悪いけど停電持ち直るまで、帰るの待っててもらっていいかな?笹原君が来るまでとは言わないからさ」
「いえ、笹原さんが来るまでいます。悪いも何も、当然ですよ」
「きっと客も来ないって。…さて」
少し乱れた髪をかきあげて、怜はあたりを見回した。
「何をするにも何も出来ないよね。レジアウト・冷蔵庫アウト・コピー機アウト。下手にドリンク補充なんかして庫内温度が下がるよりは、手をつけない方がいいだろうし…」
冷静に分析しながら外の様子を伺う。
時折通る車のライトに浮かぶ怜の姿はドラマのワンシーンのように咲良の目に映った。
身長181センチで美形、性格◎と外崎が評価するように、怜には非がない。
アイドルというよりはモデル系キレイ顔。少し長めのショートヘアだけれど、清潔感があり、嫌味がなく似合っている。
このコンビニに来る女性客は大概、彼目当てといっていい。
保育園児からお婆様まで、客層は幅広いけれど、誰にもわけ隔てなく接することができる怜にも驚かされた。
怜が勤めはじめた当初、「こんなカルそうなお兄さんがいつまでもつのか」と、誰もが思っていた。けれど、3日目には誰もが考えを改めることになる。
「なぜ、こんな町はずれのコンビニに勤めているのか?」と。
仕事もできれば、頭も要領も器量もいい。当の本人は「会社員なんて無理ですよ〜」なんて、今の状況に満足しているようだった。
「咲良ちゃんはさー、悩み事とかある?」
突然の怜の言葉に、一瞬間があく。
「え?」
突飛な質問に、とっさには返せなかった。
怜は…というと、何処からか探し出した懐中電灯をレジカウンターの上に立てて、カウンターの内側から外側の咲良へ手招きしている。
「まぁ、座ろうよ。この時間じゃ納品も来ないだろうし」
「あ…あの、怜さんは悩み事あるんですか?」
「あるよ。なんで?」
「なんで…って怜さんが最初に聞いたんじゃないですか」
咲良がパイプ椅子に座ると、怜も並んで隣に座る。
「いや、咲良ちゃん若いのに文句も言わず頑張ってるから、抱えてる事あるんじゃないかなと思ってさ。咲良ちゃん見てると、甥っ子と被るんだよね。ほっとけないっていうか」
細い指先で携帯をいじる。
ときおり、携帯から漏れる光が怜の細い輪郭を照らす。
息遣いさえ確認できる距離。暗闇といえど、咲良を見ている気配はわかる。
「…あまり…ないです」
怜を慕う子であれば、絶好の告白チャンスだったのだろうが、咲良にとって怜はちょっと敷居が高かった。こういうのもタイプでは無いと言えるのだろうか。
「もしかして…緊張してる?」
怜の一言に、体温が上がった気がした。
それでなくても、彼氏という存在が居た試しもなければ、学校・仕事、必要であるという場面で以外、男性と接してこなかった咲良にとって、
異性・暗闇・近距離・二人きり…これだけでも卒倒しそうなメニューだった。
そこに『緊張してる?』との怜の言葉。
自分を見透かされたようで、真っ赤になったのが解る。
「こんなのっ……………初めてですからっっ」
声を振り絞り、暗闇でよかったと思いながらも、つい俯いてしまう。
そんな咲良の気も知らず、怜は「そうだよねぇー」とつぶやいた。
「バイト先が停電なんて俺も初めて」
!!
咲良の勘違いを余所に、怜は話を続けた。
「でもさ、悩みがあまり無いって凄いことだよ」
そう言って、優しく笑うから、ますます咲良はどうしていいのかわからない。
「悩みは…あったんですよ。昔は…いっぱい。でも、悩んでも仕方が無いことだったからやめてしまったんです。これは…逃げ…ですか?」
怜の顔を見る事が出来ず、イスの上で膝を抱えて…咲良はつぶやいた。
「きっぱりと諦める事が出来るなんて…尊敬できる事だよ。俺も…見習いたいくらいだ」
意外な答えに、咲良がそっと怜を見れば…怜の視線はどこか遠くを追っているようだった。
「皆には内緒って訳でもないけどね…でも、誰にも言ってないんだけれど、もう何年も想ってる人がいるんだ。その人は、俺よりも年上で、俺の事なんか本気にしてくれないんだけれど…」
怜の言葉に、咲良は驚いた。
好きな人がいるとかそういう意味以上に、怜のルックスになびかない女性がいるという事に。
「諦められないんだ…。初めて見た時から…」
気付けば怜も、イスの上で立てた膝に頭を任せていた。
組んだままの手は、頭を挟み込むように、膝の上でまっすぐ伸びている。
「俺は…彼女を追い越して生まれ変わる事はできない。なんでもっと早く生まれて、なんでもっと早く彼女に出会って…なんで…もっと……もっと…。そんなこと…どれほど思ってたって変わることはないし、そんな事くらい俺だってわかってる。けれど…時々、こんな思いをするなら会わなければ良かったと、頭を掠める瞬間が怖い」
外を通る車のヘッドライトの残光が、堅く結ばれた怜の手を照らして消える。
「来世があるなら…切れない(えにし)の元にある俺と彼女は必ずまた巡り逢うんだ。その時、また俺は、無力で…今生のように彼女を遠くから見ているだけなんて……耐えられない」
「怜さん…」
「けど、それ以上に…会わなければ良かったなんて、本当は……」
“切れない縁”“必ずまた巡り逢う”怜の言葉には気になる事が多すぎるけれど、
とても追求する雰囲気ではなくて…。
時々、うん…と頷きながら咲良はイメージを膨らませる。
「本当は……なにがあったって…やっぱり…逢いたいのに…」
組んだままの手で、怜は後頭部をガシガシと掻く。
…そっと
手を伸ばして咲良は、自分を責めるような怜の手を止めた。
「人は…弱いから…」
咲良の囁きに、少し怜が顔をあげる。
「咲良…ちゃん?」
「私…、私も…今でも、悩んでる事はあるんです。ひとつだけ。…このまま1人で生きていくか、お爺ちゃんの家に戻るか…」
怜から離れた咲良の手は、あるべき場所に戻るようにまた膝を抱く。
「1人で生きて行く…なんて…」
怜がイスの上で組んでいた立て膝をゆっくり下ろした。

「怜さんは…というか、今はもう…店長意外は…知らない事ですが…」
妙に落ち着いた呼吸だけが、暗闇に響く。
「私、神社に捨てられてたんです。だから、親の顔も知らないし…。色々あって、施設に入ってからも、第一発見者だった老夫婦が時々様子を見に来てくれて…よくしてくれて…一緒に住もうって言ってくれた。今、私が借りている家も、お爺ちゃんの持ち家で…すごい、良くしてくれて……でも、私……」

わたし――――――――…

「怖くて…考えないようにしてた。甘えとか、絆とか…いつ崩れるか解らないものに頼れないって。だって……私は…私をこの世に産み出した…血を分けたモノに捨てられたんだから…」
「咲良ちゃん!!」
突然、強い口調で名前を呼ばれて、咲良は身を竦めた。
「あ、ごめん。怒鳴るつもりは…」
そこまで言って、怜は、ゆっくりと大きく息を吐き出した。
「詳しく言い過ぎたら、俺はここから去る事になるかもしれない。けど、俺はこのバイトが好きだから…すべてを君には伝えられない。君が聞いたら…きっと冗談だと思うだろうけど、でも……君に…知っていて欲しい」
いつのまにか咲良に向き合っていた怜に見つめられ、咲良も抱え込んだ膝を開放すると、イスへ座り直した。
「君を取り囲むオーラはすごく清冽で綺麗だ。咲良ちゃんが思う以上に、一緒にいる人に安心や、安らぎを与える事ができる。俺が保障する。老夫婦も、決して同情なんかじゃなく、君が可愛いんだ」
一気に羅列され、飲みこめないでいる咲良へ、怜は次々言葉を重ねる。
「君が親元を離れる事になったのには必ず訳がある筈だ。その理由を俺は完全に知ることはできないけれど、君を診ていて解る事はある」
診る?解る?
警察でさえ、お手上げだった真相のいったい何がわかるというのか?
これ以上、気休めな言葉を紡ぐのなら…いくら自分を慰めてくれる為でも、いくら怜でも…この場所から席を外そう。そう咲良は思った。
すこし、顔を上げれば…見たこともない程、真剣な怜の瞳から目を反らせなくなる。
「…俺にわかるのは…親御さんが君を手放したくないと強く願っていたという事だよ」
「…っ!」
ガタン!
勢い良く立ち上がった咲良の手首を怜の手が掴んだ。
「勝手な事言わないでください!なんで…怜さんにそんな事わかるんですか!?簡単に言えちゃうんですか?!気休めなんて、もう…何度も聞いてきた…。手…離してくださいっ!」
けれど、怜の力は一向に緩まない。
「わかるんだよ!!咲良ちゃんの生い立ち…君の口から聞いて初めて、今わかったんだ。
君から感じる不思議な気配が…誰のものか」
「なんなんですか?変な事言わないで…」
「全て疑ってかかってたら何も始まらない。なにも信じてないんなら、じゃあ、なんでそんなもの持ってるの?」
「持ってるって何を…!!」
咲良の手からはなれた怜の指先が、咲良の胸を指差す。
自由になった手で、怜の差した場所を探る。
「…これは……」
「そこから、強い念が出てる。君を守りたいっていう強い想い。そして君を守って欲しいっていう強力な想い」

それは、捨てられた自分に掛けられていた男性用ジャンパーのポケットに入っていたもの。
真新しいお守り袋の中に無造作に入っていたソレは、小さな指輪だった。

「誰にも…見せた事ないのに…なんで…」
今度は、小さなため息をついて、怜が咲良から視線をそらした。
「小さい頃から、変なものばかり見てきたよ。見た事を口に出したら、嘘つきだって言われる。物心ついてからは、祖父に見たまま全てを口にしてはいけないって言われながらも、そういうものを見る練習を積まされた。この家に産まれた者の宿命だからと」
「霊感…みたいなものがある…ってこと?」
静かに怜が頷く。
「それを基にした家業なんだ。長い年月をかけ脈脈と家に、血に受け継がれてきたもの。そしてこれは…俺の宿命だから」

宿命

彼女(そのひと)も…その家系の中にいるの?」
それなら、怜の言った言葉の謎が解ける気がする。
「咲良ちゃんには敵わないな」
さびしげに笑って…俯いた。
「光と影があるように、表と裏。俺達は相対する立場にいる。ちょっとした出来事があって、最近は昔よりも融通が利くようになったけれど…それ以上に、彼女の想いは頑なだから……」

(越えられない)


「でも」

咲良がつぶやいた。

「想いは頑なでも…理解することは出来ると思う…。付き合うとかそういう事は頑なでも…怜さんから、そんなに大切に思われてること…」
向き直った咲良と怜の視線が交わる。
「もう…本当は…わかってくれているんだと思います…」
私のは…勘でしかないですけれど と、咲良は付け加えた。
「…もし、咲良ちゃんの勘が当たってるなら嬉しい事だけれど、もしその勘が正しいのなら…咲良ちゃん?君も…大切に思われてるってこと、充分に…解ってるんだね?」

そう、老夫婦に…思われていることも。

「認めたら…その責任に、プレッシャーに、期待に…答えられるか心配だった…」
きっと、怜の想い人もそう思っているのかもしれない…咲良は心の中でそう思った。
自分より、年下の美青年は…いつか年老いた自分に飽きるかもしれない…と。

怜もそれに気付いたのか、軽くため息をついた。
今まで気付いていなかった訳ではない。本人に面と向かって言われた事もある。
それでも
「年の差なんかで飽きるくらいの想いなら…こんなに悩んだりしないんだけどなぁ…」
彼女が迎えた年の分、自分も年を重ねるのだ。
追いつけはしないが、その代わり、これ以上離れる事もない。
無言だけれど、その言葉で怜の気持ちは咲良に伝わっていた。
「なんか…咲良ちゃんって他人って気がしないよ。デジャウ…かな?」
「もしかして私に…鞍替え…ですか?」
咲良の発言にバランスを崩した怜のイスがガタンと鳴った。
「さっ!咲良ちゃん!!」
慌てる怜を見つめていた咲良は耐えられずにふき出した。
「嘘ですよ。私も怜さんの事…お兄ちゃんみたいだなって思いました」
笑われているのに、お兄ちゃんと呼ばれた事は悪い気はしない。
末っ子だった怜にとっても、咲良は妹のようにかわいい。
同じ年代の子に比べれば、呆れる程に素朴で純粋。
その内面は…(じぶん)の想い人“(かなめ)”に通じる所がある気がする。

飾らないからこそ、万物(なにもの)にも包み隠されること無く
痛烈に惹きつけられるのだ。

彼女達の“なにか”に。


突然、ありとあらゆる場所から小さく爆ぜるような高音が鳴る。
蛍光灯の通電する音。
音は一瞬だが、ランダムに響きながら…青白い明るさが店内に戻った。


「ひどいよ…咲良ちゃん」
さっきまでは暗さで気付かなかったが、咲良の目尻には光るものが残っていた。
「だって、…お兄ちゃん(・・・・・)狼狽(うろたえ)振りが…」
思い出したのか、目尻を拭いながら顔をそむけ、肩を小刻みに震わせている。
「……ぷっ…ごめんなさい…ふふっ…」
「そ…そっちがその気なら…って、いつまで笑ってんだ…咲良ぁ!!」






後日談

あの停電を境に、(れん)が「咲良ちゃん」から「咲良」と呼ぶことに、同僚を始め常連客までもが、あらぬ妄想を抱いていた。
咲良の方は、おおっぴらに怜を「お兄ちゃん」と呼ぶ事はなかったが、あの日を境に2人の親密度が上がったのは誰の目にも確かに見てとれた。
余程、後悔していたのか
「あの日、帰るんじゃなかった」
その言葉は数日、外崎の口癖になっていた。
規則を破った事を、店長に絞られたのも理由にはあるだろうが、8割方…怜狙いだろうという意見は多い。


そして
例え、現状が解決しなくとも、解ってくれる人がいるだけでこんなにも心強いことを
日頃、頼られてばかりの怜は改めて思い知らされたのだった。


あの数十分間、迫るような暗闇の中で彼らがそれぞれに、掛替えの無い
“何か”を見つけたことは、2人と暗闇のみが知る所だ。



end

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