novel

Multiple Personality Disorder
IV

櫻 朔弥

IV−1

双樹の好物は意外にもプリンだった。
気まぐれに大和が作ったプリンを、まるで子供のように幸せそうな顔で口に運ぶ姿がとても印象的だった。
そんな事もあり、出先で変わった味や、美味しそうなプリンがあると、それを土産に大和は双樹を訪ねた。

いつものように、双樹の家に向かっていた。
大和の手には、クレームブリュレで有名な店の箱が握られている。
代々続く家が立ち並ぶ、どこか古く閑静な住宅街で、双樹の家は一番奥にあった。
もう、そこが双樹の家…というところで突然、大和は後ろから肩をつかまれた。
!!
振り返れば、そこには背が高く、華奢な男が立っていた。
美形ではあり、大和もよく知った顔だが、それは間違いなく男だった。
「あなた…」
それは双樹であり、双樹でない一人。
彼が隠そうとしなければ、顔つきが全然違う為、大和には見分ける事ができた。
大和の肩を掴んでいた手を離すと、ひらひらと振ってみせる。
「へぇ。驚きもしないのな。もう見分けがつくって訳?」
男性の人格・樹憂。攻撃的で自己中心的。双樹の嫌がる事が大好きで、時々こうして現われる。
「見分けぐらいついて当たり前でしょ。あなた達は似ていないもの」
「あーそう」
思い通りにならなければつまらなそうに返す。こういうところは、子供のようだと思う。
「またそんな甘いモン持ってきたのか。たまには俺と遊んで欲しいんだけどね」
大股で大和に近づく。大和が距離を取ろうと後ろへ下がる。
ニヤっと樹憂が笑った。
「残〜念〜」
しまった!と思った時はもう遅いと言うとおり、いつのまにか大和は塀に追い込まれていた。塀と樹憂の間からでようと思った時にはすでに、樹憂の腕で囲われていた。
落ち着け…殺される訳じゃない。
大和は自分に言い聞かせた。
怯えるでもなく、ただ、樹憂を見つめる大和に、感心しながらも、樹憂の中で物足りなさが湧き出した。大和の、この動じない・興味なさげでありながら気の強い所が気に入っているけれど、そういう気の強い所が折れるのも一興…。
「逃がして欲しい?それとも今日は遊んでくれる?アイツといるよりイイと思うけどね」
手首を掴まれ身動きできない大和に覆い被さるように、大和の鎖骨に唇を這わせる。
樹憂の頭が動くたび、肩より長めの黒髪が、大和の首筋をくすぐる。
「私は泣き叫んだりはしないけれど…本家の跡継ぎにこういう事をしたってバレたら、双樹以上に貴方の立場が悪くなると思うけど」

双樹にも大和にも、陰陽師としての能力は備えられていた。
パワー面では樹憂は優れていたが、双樹自体が不安定でいる事が多いため、本家が動けば、樹憂の自由を奪うことなど容易かった。
それをしないのは、現在…双樹本人にしか樹憂の被害が出ていない事と、大和がそれを黙っていたからだった。
跡継ぎとはいえ、まだ修行中である自分の能力がどれだけ通用するか分からない。
大和は、(ちから)能力(ちから)で対抗する事になにか違和感を覚えた。
でもそれ以上に、双樹に自分の能力を使いたくなかった事もある。

双樹の家は大和の家の分家だった。
本家の決定は分家にとって絶対である。
不本意だったが、本家の名前を出すことで、樹憂が退いてくれる事が大和の願いだった。

けれど双樹は…きっと、自分の自由を差し出してでも、樹憂を自由にさせないで欲しいと思っているだろう。でも、それも、双樹が犠牲になるという時点で、現在と何も変わることなんかない…もう充分に犠牲としか大和には思えなかった。

「本家なんざ知らないね」
願いも虚しく、樹憂は大和を睨み付けた。
「俺はいつだって逃げる事もできる。それに黒耀の女は…」
樹憂の手がギリギリと、ブリュレを持つ大和の右手首を締め上げる。
熱でもあるかのうように、樹憂の手が熱い。
「抱いたくらいじゃ能力は消えない」
最初、チリチリと痺れていた指先が燃えるような熱を帯びる。
痛い…大和はその言葉をかろうじて飲み込んだ。
握られたままの右手は熱さが嘘のように消え、今は…重く…冷たく感じる。
このまま壁に両腕が沈んでいくのではないか…それほどに、強く押さえつけられて
大和は昼過ぎなのに人ひとり通らない“閑静な住宅街”を恨めしく思った。
「ほんっとに強情な女」
つぶやいて、樹憂は突然…大和の右手を払った。
「あっ!」
すでに感覚のなくなりかけていた指先は、突然の衝撃に耐え切れなかった。
握り締めていたブリュレの箱は、大和の目の前で無残にも、鈍い音をたてて地面に落ちた。
「拾って食わせろよ。アイツなら尻尾振って食うに決まってる。犬みたいにな」
言い捨てて、樹憂は右手を緩める。
即座に大和は自分の左手を引きぬいた。
「今日は引いてやるよ」
体温が伝わるほどに近かった樹憂の体が離れ、樹憂はブリュレの箱を一度蹴り上げてから住宅街に消えた。






IV−2

自由になったのに、壁から離れる事が出来なかった。
痛む手首には、くっきりと樹憂の手形が赤黒く残されている。
壁にもたれたまま、深呼吸を繰り返す。
怖かった訳じゃない。
ただ…痛かっただけだ。
どんな状態であれ、彼も双樹だから……怖くは無かった。
ただ、彼から湧き上がる憎悪はどこから溢れているのか
なぜ、双樹だけに向けられているのか
それが解らず、説得すらできなかった自分が情けなかった。
樹憂が立ち去った今、家に行ったって双樹は不在だ。
それに…
ゆっくり壁から離れ、足を進める。
少し進んで…かがみ込む。
数分前にはこうなるなんて
「…お前も思ってなんかいなかっただろうに」
拾い上げた箱は、歪んで所々が凹み潰れていた。隅からは、ブリュレと思われる水分が滲み出している。

帰ろうかな…

これでは…“誤って落とした”という言い訳すら使えない。
仕方ない。
箱を抱え、壁伝いにゆっくりと来た道を戻ろうとする大和に思いがけない声が届いた。
「大和?」
顔をあげれば、そこには…
「…双樹?」
さっきと同じ服装で、でも、髪だけは束ねて…
ちょっと自信なさげな瞳は、間違いなく双樹のものだった。
けれど、樹憂が自ら意識を双樹に譲ったとは思えない。
それでも、そこに居るのは確かに双樹で、樹憂が自ら双樹へ意識を渡した…とすれば、意識のどこかで樹憂は自分を観察しているのかもしれないと大和は思った。
手首に痕が残るほど自分を責めた人間が、自分に声をかけてくるのだ。
精神が違うとはいえ、記憶がないとはいえ、同じ体で…同じ顔で。

試されている…のだろうか。
それにしたって悪趣味だ。
大和は双樹に届かないほどのため息をついて…小さく笑った。
悪趣味過ぎる。
樹憂のこういう所は父親似かもしれない。
「おでかけの帰り?」
何気なくを装って、そう問えば双樹が情けなさそうな愛想わらいで答えた。
「分からないんだけど…気がついたら、自販機に手を入れていて…。というか、ジュースの冷たさに引きずり出されたって感じに近い…かな…」
双樹の右手には、炭酸飲料が握られていた。
「髪も結んでなかったし、あらかたエンジュがジュースを買いに出たんじゃないかと思うんだけど、犬とか…何か怖いものを見ていきなり引きこもったのかな?呼んでも出てこないし…。大和は……それ、もしかして持ってきてくれたの??」
見られたくなかった箱を見られて、大和は咄嗟に答えられなかった。
「落としたの?中開けてみた??」
大和の手の上で双樹に広げられる、ひしゃげた箱。
「ごめんね双樹。つまずいて…落とした上に私が乗るような形になったっていうか…蹴飛ばしたっていうか…今度また買ってくるから、これは諦めて…」
箱の中では、型崩れしてドロドロの物体がかろうじてプラスチックの容器に守られていた。
6個のうち、一つだけが蓋が壊れ中身が流れ出している。
「でも、ブリュレってそんなものだよ。保冷材入ってるからまだ冷たいし」
双樹は、箱に収められていたスプーンをひとつ切り離して、大和が止める間もなくブリュレを口にした。
「美味しいよ」
子供のように屈託なく笑う。
「これじゃ、立ち食いだよね。行儀悪いよね」
言いつつも、休まずにスプーンは口とブリュレを往復している。
「うん。美味しい。こういう時ってケーキとかより、ヨーグルトとかゼリーとかってお得だよね。原型留めてなくても味は変わらないし」
ふふふ…
幸せそうに笑う双樹は甘いものが好きな普通の女性にしか見えなかった。
大和の頭の中で、樹憂の声が繰り返す。
『拾って食わせろよ。アイツなら尻尾振って食うに決まってる』

今、目の前で幸せそうにブリュレを食べている双樹を樹憂はどこかで見ているんだろう。
次に樹憂に会ったら、きっと「言った通りだろ?」なんていうかもしれない。

こんなに
嬉しそうに
幸せそうに
ブリュレを食べている双樹を樹憂は笑うかもしれない。

「!!大和?どうしたの?!」

大和の頬を涙が濡らしていた。
昔から、どこか大人びていて、あまり感情を表に出さない大和が前触れもなく涙を流していたことに双樹は焦った。
初めて見た大和の涙に、かける言葉もなく…双樹は食べかけのブリュレを箱へ戻して、
大和の頬をそっと拭う。

大和の頬に触れた双樹の手は冷たかった。
さっき起こった全てが嘘のようだった。

悔しい…

この笑顔を守ることすらできない自分が
この笑顔を踏みにじろうとする樹憂が

許せない
責めれば 責めるほど、大和の涙は止まらなかった。





IV−3

「大和さぁ、もう双樹に会うのやめたら?」
大和の双子の弟はそう姉に進言した。
「その手首にしろ、前につけてきた首の手形にしろ、そこまでする必要を俺は感じないね」
黙ったまま、答えない姉に更にたたみ掛ける。
「俺らは九耀苑(くようえん)みたいに、表と裏でツガイな訳じゃない。正直、俺らがちゃんとしてれば双樹んちが絶えたって、そんなに問題あるとは思えないけど」
顔も性格も似てない弟は、サクサクと現状を捌いていく。
「異常だって。殺されはしないって大和は思ってんだろうけど、殺されないにしろそんな風に皮膚が変色するほど手形つけられてさ…それを誰かに見られてたら逆に双樹の方も危ないんだぜ?二重人格だって広くは認められてないのに多重人格なんて…」
姉も心配だけれど、結局は優しい弟なのだ。
ちゃんと双樹の事も心配してくれている事が大和にはわかった。
「なっちゃん大人になったのねぇ…」
ぼそっと呟いた大和の発言に、弟は顔を真っ赤にして食いついた!
「なっちゃん言うなっ!それに同い年だろーがっ!」
姉とはいえ、双子。どこか謎めいているといえば聞こえはいいが、ぶっちゃけ、どこか外れた大和の慣性にいつも振り回されている弟にとって、大和はもっとも身近でありながら遠い存在だった。
姉に近づきたいと思うのに、その姉はいつも自分の知らない世界をみていて、守りたいと思っても、逆に守られていた事に気付かされたりする。
もう昔の自分ではない。
背も姉を随分追い越した。力だってある(と思う)し、能力だってそこそこには。
頼れる兄弟と認めて欲しい・同じポジションに立ちたい。
「でも…私が離れたら…双樹が消えちゃうような気がして…」
大和が自分の手首を確かめるように、残された痕の上をもう一方の手でさする。
姉の白い肌に残された赤黒いような紫のような手の痕。
「双樹が少しでも長い時間、自分の意識を保っていられるようにしてあげたい」
「でも!大和はいずれ誰かに嫁ぐんだろ?双樹と結婚する訳じゃないんだろ?そういう岐路に立たされたらどっちを選ぶんだよ?そんな、捨て猫に餌あげるような事してもいつかムダになるんだぜ?」

……
2人の間に沈黙が続いた。耐えられず、弟が口を開く。
「聞いたよ。九谷(くたに)の息子からプロポーズされてるんだろ?」
大和は何かを考えている様子で顔色も変えない。
「そういう岐路が現実に迫ってきてるって事だろ?」
こんなにムキになっている自分が段々と馬鹿らしくなる。
「大和っ。違うなら何か言えよ」

静かに、弟に視線を移し大和は答えた。
「プロポーズは本当」

…またしても流れる沈黙。
大和の視線は揺らぎもせずに弟を捕らえたままだ。

「でも…私はね…、捨て猫がいたら餌をあげると思う。可愛そうにって…抱き上げるかもしれない。例え飼えなくても、何かしてあげたいって思うと思う。それって悪い事?猫も迷惑だって思うのかな…。餌なんかいらない!!って猫は私を恨んだりするのかな?その餌で繋ぎとめた命はムダ…になるのかな?私が捨て猫なら…きっと、餌が欲しい。一日だけでもいい、気まぐれでもいいって…思うと思う…」

…弟がぷいと大和から視線をそらした。
「ダメだよねこんなんじゃ」
視線の隅の方で、大和が俯いたのが見えた。
「双樹は猫じゃないのにね…」


『そういう問題か?!』


「あぁ、もう解ったよ!好きにすればいいけどさ、でもムリはしない事!」
やっぱり、どこかズレている姉に、説教なんか効かない。
でも、姉の言った事に…少し考えてしまった自分。
「なにかあったら必ず俺に報告する!相談する!」
そう思うと、姉はやはり自分よりどこか先を見ていて、敵わないと思う。
このままじゃ、俺はシスコンじゃないかよ!と弟は心の中で思ったが、周りから見て既にそう見られていることを本人は知らない。

「ありがと…なっちゃん」




祖父の早とちりから、彼は生まれながらに悲劇を背負う事になった。
大和の弟。


彼の名前は撫子(なでしこ)といった。




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