novel

Multiple Personality Disorder

櫻 朔弥

I−1

気付けばいつもそこに居る。
そこは…暗闇に月がかかる時の薄明かりに似た
時に青白く
時に青黒い…無機質なところ。
天はきっと空ではない。
屋根も見えない。
地は土ではない。
強いて言うなら青白い大理石のような…。
癒されるようで気が狂いそうな青い空間。
そこには、私しかいない。

気付けばいつもそこに居る。
時には立ちすくんだように
時にはしゃがみ込んで…
なぜそうしているのか
なぜそこにいるのか
解からない。
でも…出る方法は…いくつかある。
誰かが私を呼んでくれる事。
あのこ達が私を呼ぶ事
アイツに引きずりだされる事

けれど、
自分自身では何も出来ない

普通に暮らす健康な人々が
眠るのが怖い事があるだろうか?

私は怖い
眠るのが怖い
いや、眠る事よりも何よりも
私が私なのか…解からなくなる事が怖い

「ソウ…ジュ…」
苦しそうに呼ぶ声が聞こえ…
初めて自分の居場所に気付く。
相変わらず…青黒い天を見上げ…
誰の声だったのかを思い出す。
あの声は
大切な声。大切な人の声。
そうだ…あの声は…

思い出す瞬間
誰も居ないこの空間の
何も触れていないこの指に伝わる何か
どく
どく
と、脈打つ何か

いけない!
なぜかは解からないけれど体中が嫌悪感を増す
体中が何かに揺すぶられているように


いきなり白光の下に晒されたように
見ていた景色が変わった

苦しそうに歪む美しいヤマトの顔
指を伝わる鼓動
細く白い首
その首を押さえつけている手
何故この手は首を締めているんだろう?

ヤマトから手を離せ
離せ

締めている手を解こうとその先を辿る

その先は
私?
私の手だ!!

細い首の軋む音が指先を伝い私に流れ込む

それは例えようのない恐怖


「うわぁっ!!」
半分突き飛ばすような勢いで手を離した。
「げほっ…ごほっ…ごほ」
床に倒れこみ、むせるヤマトの美しい黒髪が広がる。
ガタガタと震えが止まらない自分。
骨のきしむ感じ
肉に指が食い込む感触

あの閉ざされ、守られた青い空間から引きずり出され
見えたのは
大切な人を手にかけている自分
大切なヤマトの歪む顔
後ずさり…壁にもたれ掛かる
そのまま、ズルズルとしゃがみ込む
頭を抱え込む
この手の感触は消えない
目を覆っても響いてくるヤマトの荒い呼吸
震える手で耳を塞ぐ
次に聞こえてくるなら、怒声か罵声か

した事を思えば当然だけれど
それを聞く勇気が今の私にはない

「ソウジュ…ごめん…ね」
荒い息遣いに切れ切れの声
「大丈夫…私…は…大丈…夫」

もうだめだ
また…あの青黒い沈黙の場所へ引きずりこまれてしまう。
朦朧とした意識は首の皮一枚と言わんばかりで
あの青い空間とこの現実に私を繋ぐ

殺してくれ

何故

私は生きている?

神がいるなら

私をどうしたくてこのような制裁を加える?

皮一枚くらいならもう切れてしまえ

私は目を閉じた…。




I−2

双樹(そうじゅ)!ダメ。逃げないで。怖くない。ほら、私は大丈夫」
膝を抱え込むように小さくうずくまった身体を大和は抱き寄せた。
身長は160センチの大和(やまと)よりも高い。177センチくらいだと思った。
その身長にしては、華奢とも言えるやせ気味の四肢。
この骨格が、双樹の精神をまた追い詰めることも大和は知っていた。
双樹が意識を手放せば、当分…会うことはできないだろう。
それほど双樹は繊細で不安定だ。
「大丈夫。怖くないから…。樹憂(きゆう)は私を殺さない。貴方を困らせたいだけだ」
しゃがみ込み、俯いた顔を両手で上向かせる。
涙で濡れた顔を指先で拭う。
けれど瞳は開かない。
「双樹!双樹…あなたにもっと強くなって欲しいの。逃げないで。私を見て」
残酷なのは充分わかっている。
それでも、これを乗り越えなければ双樹の為にならない。
「双樹!双樹!お願い!答えて」
悲痛な願いが丹精な茶室に響いた。

(…戻ってきて……)

「ごめ…ん」
か細いかすれ声が漏れる。
「双樹?」
ゆっくりと瞳が開く。
瞳を見れば大和には解かる。
「双樹…よかった…」
自分にいつもと変わらない…いや、いつも以上に優しく微笑む大和。
大和の為になら、死んでも構わないと思っていたのに、
逆に手に掛けた自分。
それなのに、優しい大和。
その大和になんとか報いたい。

ガタガタと震える手で、双樹は恐る恐る…
滂沱の涙を隠さない大和の頬を拭った。
「大和…泣かない…で…」
「双樹っ…」
座り込んだままの双樹に覆い被さるように大和は双樹を抱きしめた。
「双樹がショックを受ければ出てこないと…自分の自由な時間が増えると…樹憂は全て計算していた。双樹は利用されたんだ。だから…向こうへ戻ってはダメ。私は大丈夫だから…行かないで。樹憂に流されてはダメ」


いつからだろう。街を歩けば…見知らぬ人に声を掛けられた。
保育園児や小学生に“エンジュ”と呼ばれているうちはまだ良かった。
けれど
目が覚めれば…知らない香水の匂いと…割れるような頭痛。
露出の高いミニスカートの見知らぬ女性が手を振る。
あきらかに…ネオンの下に咲き乱れる花。
ある時は袖を引かれ、あるときは…あるときは…

言えるのは、声をかける女性はいつも違う女性。
彼女らは、くちぐちに双樹をこう呼ぶ。

「きゆう」と。


自分が普通じゃないことくらいは知っていた。
それは身体も精神も…だ。




I−3


父親が大嫌いだった。
記憶の中ではなにかにつけて、父の姉弟(きょうだい) に比べられていた。
由緒正しき血筋に陶酔する男…“父親”。
彼は異常な程のブラコンで、それは崇拝というに近かった。
彼には、樹璃(じゅり)樹里哉(きりや) という、彼とは年の離れた双子の姉と兄がいた。
活発で朗らか、容姿端麗な姉「樹璃(じゅり)」と繊細で頭脳明晰な兄「樹里哉(きりや)」。
憧れであり、自慢であった器量良しな双子の姉弟(きょうだい)を突然の病で失ってから、更にブラコン度は上がった。
存在の消えてしまった人間を美化することに際限などない。
歪んだ愛は、自分の子供「双樹」に、更に歪められて押し付けられた。
その名前は、樹璃・樹里哉から一字“樹”の字を取り、生まれ変わりの意味を含ませた。
(ふたつ)の樹”と。
その立ち振る舞い・発想…全てを生前の姉弟の言動に当てはめ、矯正させる。
しかし…姉弟は既に故人。死人に口無しとは良く言ったもの。
あることも無いことも、理想と想像の名のもとにエスカレートしていく。
それを止める者は居なかった。
誰一人として。
この父との結婚を望まなかった母親は、夫との接触を必要最低限に留めていた。
双樹に関しても、双樹をかばう事で双樹と夫の間に挟まれる事を嫌がった。

守ってくれるべき父に責められ、母には無視され
実家にいながら極限状態に置かれた幼い双樹にある日…声がした。
「助けて欲しい?」
何処からか響く幼い少女の声は、無邪気に問い掛ける。
元々、占いや(まじな)いで生計を立ててきた家。
双樹にもその血は引き継がれ、おかげで時々悩まされる事もあった。
けれど、そんな事などもう構っていられなかった。
…何かに縋りたかった。
それが、悪魔だろうと、幽霊だろうと、何だろうと…。
ただ…
「助けて…」
と、掻き消えそうな声で呟いたその時に…


―――運命は分かれた―――



そう、気付けばそこにいた。
そこは…暗闇に月がかかる時の薄明かりに似た
時に青白く
時に青黒い…無機質なところ。
天はきっと空ではない。
屋根も見えない。
地は土ではない。
強いて言うなら青白い大理石のような…。
癒されるようで気が狂いそうな青い空間……。



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