novel
街の最果ては 雲海に面している。
しかし それは 遥か彼方に遠く。
この街の人間が権限を持たずして、外界の空に触れる事はない…。



――― 人の降る街 ―――

些谷将臣


地上より遥か上空へと そびえる柱の数々に支えられるビル郡は、まるで この世界を飾り彩る彫刻。
そして、その下で暮らす人々の生活を、瞬きする毎に うつり変わる絵画と例えたなら。
この街は、上下から重なり合い…不規則に絡み合うアラベスクのように。視界の一面を囲う額縁と詠われる。
 
だがしかし、その技や繁栄とは裏腹に。
この街は時として、住まう者の視界を覆い尽くし、空を臨もうとする者の求めを拒むのだ。
 
どんなに高い場所を目指しても、この街の内側から外の様子を伺うことは出来ない。
そのため、ふらり ふらりと ビルの屋上を歩き、その角際に一歩 踏み出す人間の瞳には、とうに見飽きた景色の一枚一枚が映るだけで。
外界にあるはずの雲海はおろか、足元の また遥か下にあるはずの地上すら…彼らは目にする事が出来ないのだ。
  
我々の住む世界は いつの頃からか、空と地上から隔離され。誰かが理想とする何かを実現するためだけに、ただ…人々を呑み込んでいき。やがて、人間 一人一人が、それぞれに確立していくべき生き方すら…束縛するようになったらしい…。



Chapter−I 『 降りだした雨と共に… 』

<I>

凍えるほどに冷たい風。
時に強く吹き付けるそれは、男の渇いた肌を刺し、体を強張らせた。
目の前に広がる街の光景に、彼の姿が馴染まないのは…どうしてか。
黒く煤汚れた厚手の布を肩に巻き。その足元を伺えば、何度 地面や壁に擦り付けたか知れない綻びが、パンツの裾や側面に渡り、所々 血を滲ませている。
彼は、ただ 何かから逃れようとしていた。
しかし、それが何なのかは…まだ分からなかった。
だが…ひたすら誰かを待つように、彼は そこに居て。もう何時間も振り向かない。
 
そんな場所で、もう かれこれ半日になるだろうか。
男の背後で凍えるような寒さを耐え忍ぶ少年もまた…ただ待つしかなかった。
息を吐けば白く。呼吸する毎に、それは目の前を わずかに漂い、消えていく。
白い薄手の衣服を上下に着ているだけでは、自らの体温すら感じられぬほど。
冷えきった指先は、もう すっかり かじかんでしまっていた。
だが、長い事そんな状態にあったためでもある。少年は気付いていた。
この寒さ…季節柄のものではないと。
 
この光景を見ていれば、誰もが感じる事だろうと思った。
街の中にあって、一際 目立つ巨大な柱。それは 青白く光を帯びて夜の闇を払い、一帯の建造物を煌々と照らして一層 際立たせているが。元になる その青い輝きは 計り知れない力と可能性を持ち、この世界を成り立たせる源の一つとなっている事が伺える。
そして、それに すがるように幾重にも折り重なり、その奇怪さゆえ構造も知れぬ街の様子と、更には…常に一定を保つ気温。
 
この世界では、街の隅々まで空調管理されていて、極端な気温の変化はありえないのだろう。
勝手な解釈ではあったが。少年が目の当たりにした世界、そこは、そう察するに容易な雰囲気を持っていたのだ。
 
そして、そんな景色の傍らに男の背を眺めながら。
少年は遠く…また遥か遠くへと思いを馳せる。
見上げれば、まるで下界を鏡映しに見ているかのように。上空を覆う街の底からも ビルが突き出し、広がっていた。
 
この世の人知とは いかほどのものなのか…。
気候を操り、高度重量を無視した建築物の創造を図るには、神秘すら解する文明を築かねばならない。
 
人類は、かつての技を得て…またしても歴史を繰り返そうとしているのか…。
 
少年は一人 案じていた。
 
だが その時だ。
「雨が降りだす前に、あそこへ行こう…」
少年に背を向けたっきり 何時間もの間そうしていた男が、突然 口を開いた。
風の音に混じる声。奥行きの無い聞こえ。
より所の無い言葉にも思えたが、それでいて心持ち力を感じる。
「そこへ行けば… 何か…?」
少年は尋ねた。
すると久方ぶりに振り向いた男は、ゆっくりと少年のもとへと歩み寄るのだった。
そして、自分の腹の正面で見上げてくる少年の目の高さに合わせるように腰を下ろすと、その両腕に そっと触れ、真っ直ぐに見据えてくる瞳に向い、応える。
「貴方も、もっと この街を見たいだろう…。あそこへ行くまでに粗方 眺めてくれ…」
波打つ深緑の髪の合間から覗く瞳が、何かを訴えかけるように少年を見つめる。
彼は続けた。
やがて この街より上に居る人間が貴方を探して降りてくると…。
だが、貴方だけは決して奴らのものになってはいけない。だから…。
「貴方を… ある男に預けに行く…」
だから今は… 何も言わずに従ってくれと。

本来ならば意味の通じない話。唐突 過ぎる あまり理解も及ばない事だろう。
しかし、少年は それを黙って聞き、ただ頷いて応えたのだった。
鼻筋の上から顎にかけて、右頬を斜めに走る太い傷が強く印象に残る…男の顔色を伺いながら。

見た目にも熱を感じさせない渇ききった肌。おそらく何日も体を休ませていないはずだと少年は察していたのだ。
水も食料も口にせず。少年が出会うよりも ずっと前から、彼は待ち続けたのだろう。
そのため少年は彼を気遣った。
再び男が立ち上がると、風に流れた長い髪が、彼の顔立ちを強調する頬傷を そっと隠す。
すると、肩に掛かる髪の襟足をはらうようにして、彼は再び街を振り向いた。
そして、遠く柱を見つめる。そんな彼の傍らに立つ少年もまた、寄り添うようにして…決して傍を離れる事はなかった。


『シャングリラ』 ―――。

そこは、国連に加わる全ての国々が合同で進める『理想的世界平和』に基づく、とある計画により創られた 多国籍自治領であると聞く。
つまり それは、完全な独立国家と言っていい程の自治を認められており。
それでいて どの国にも属さず。
新たな法の制定および、制度の改正等といった政治的権限までもが認められている領土であるというのだ…。

二人が居たのは、中心に密集する各区建設の際に使用された仮設住宅のうち、一棟にあたる。
窓ガラスも内装も崩れ落ち、どこからともなく風が運んできた砂粒が降り積もった上を歩きながら、やがて二人は速い足取りで街を目指した。


<II>

郊外の建物の多くは既に廃墟と化している。
それは、中層市ならではの光景だが。上の都市に比べて経済状況が安定せず、むしろ苦しいために、取り壊しや新開発企画が先に進まないためだと、男は少年に説明して聞かせた。
そして、明かりの灯りだした通りへと一歩 踏み入れば、そんな裏事情など想像もさせない街へと誘われていく。

夜を行き違う人々は、それぞれ語らい。家路を急ぐ者、店頭で接客をする者、仕事の帰り際に遊びへと繰り出して行く者と、様々に。
とある角を曲がれば、背の低いビルから出てきた少年達が たむろして会話を楽しんでいる様子だった。

進路 決まった?
それがさぁ、親と担任の板ばさみ…思いっきり反対されまくってんの〜。

聞けば 他愛もない話。
しかし、…それでいい。
男の背を追いながら、少年は思っていた。
普通である事が幸せ。皆それぞれに思い悩む事があっても、それを表に出さず暮らしていけるという事は、相等の努力が出来ている証なのだと。
だが、時には立ち止まり、考える事もあった。

少年の目に留まり、遠目に観察される人間は いつもどこか遠くを見ていた。
そして、その様子をジッと見る少年の足取りが留まった気配に、男が振り向くと。少年は ただ彼らを眺め、思うところを察するように 目を細めるのだ。

百聞は一見に如かず。
この街の様子を見せれば、黙っていても この少年は理解するはずだと男は考えたのだ。
そのため、事の経緯も ろくに説明していないが。思惑どおり。
…それでいいんだ。その時、彼も また思っていた。
人の様子を伺う少年の先に居て、それを 遠くから眺めながら。

男の話は唐突で。決して多くは語らず。
少年が その詳細を把握するには、時間が必要だった。


「Queen…」

「貴方は おそらく、もう二度と目覚める事などないようにと願っていた事だろう…」

「しかし、この世界に 『NOA』 が目覚めてしまった以上、私たちには貴方の『力』が必要なんだ…」

「だから どうか…。Queen…。今は何も言わず、私に従ってくれ…」

青い…。青い色合いに染まる視界に ただ一人。
男は、少年が この世界に目覚めてはじめて目にした人間だった。
激しい衝撃に打ち破られた様子の、分厚いガラス片が辺りに飛び散る…その中心に居て。
その時 少年は、ゆっくりと自らの手のひらを見て言ったという。

「わたしは また この世界でも…戦わなければならないのですか…?」

いったい…何のために…?

あれから まだ二日にも満たない。
賑わう街並みの合間に差し掛かり、ふと見上げれば。彼が言った あの場所、青き柱もとは まだ遠い。
男は、時折 立ち止まる少年が人を眺める様子を気に止めながら、先を急がせた。
そろそろ時が迫っていたため。

並んで歩いた二人が とある店頭を通り過ぎると、そこへ長い缶製の物立てを重そうに持ち出しす店員の姿。
用意されたのは店内にあった商品の傘だった。
立ち止まった男女が それを買い求めると、もうすぐ降りだしますからね、今のうちにどうぞ と言う店員の声が聞こえる。
 
二人は…歩き続けた。


この世界の創世を知る者は少ない ―――。
かつての世界で人間が争い、それを治めた『力』は あまりにも強大だったため…。
そのために、今 世界で知られている『NOA』という名もまた、神に使えた聖人の存在としてだけ記憶されている。が、しかし…。
真実は時として、人の手により書き換えられる…。


かつて この宇宙に光が誕生してから幾億年。
闇と光が交わり、そこに星々が生まれ。その中の一つに人類が誕生し、時を数え始めてから更に数千年が過ぎた頃。
『炎』を支配した人類は やがて、『雷』を操り。歴史に繁栄をもたらした。

『メカトロニクス』の時代である。

生活手段の便利を機械化させ、あらゆる分野における学を修め。
自然科学をも解き明かした人類は更なる栄光を求めていった。
そして ある時。地上には在り得ない 宇宙の塵を一つ一つ集める事を始点としたオーパーツの探求から、これまでに無い不可解な化学式を打ち出す とある金属を発見する。
 
すると、物理分野における光化学の進化を得て、文明は飛躍的 転進を遂げ。
『メカクトロニクス』から『オプティクス』へと、時代はいつしか移り変わっていったのである。

『ブルーメタル』―――。
それは、あらゆる光を直接的に記憶し、その条件から様々に変形。
美しく、青く、光輝き。そして、熱、電力、様々なエネルギーの生成を果たした。
しかし、この世界の人々にとって、かつての遺物とされている それが太古の遺跡から発掘された際。遺跡の記録に記されていたはずの事実が…この世界の人間達には知らされていないというのだ…。

少年の胸の内は、誰に宛る訳でもなく、かつてを物語る。
この街を行き交う人々の波間に居てて、少年は つくづく悲しかった。

あの 『NOA』が…。この世界にまで目覚めて、また かつてのように…『舟』を築こうというのか…。
思えば思う程に、握り締める拳に力が入る。
人類が求め続けた『理想世界』に囚われ、人としての在り方を見失った存在は、今も なお この世界に生き続け。闇を操り、人を惑わせている…。そう語った男の話の概要が、人々を取り巻くこの街 全体に現れていたからだ。
  
人々が活用する機械、製品、乗物の全てに かつての技が組み込まれ。ブルーメタルが光プログラムに応えて生産するエネルギーを主に、それらは情報を記憶し、生活の支えとなり、交通手段の一つであるエア・ウェイを確保している。
それだけでも必要性を疑うところだが。増して不可思議なのは、上下 幾層かに渡り 分け隔てられた、その社会構成だった。
男に導かれ ここへ至るまでも、少年は二つの街を降りて来ている。
 
下から順に、最下層、下層、中層、高層、最高層。
この世界の人間は、その生き方、能力、地位によって各五つの街や都市に住まわされるのだと。そう 男に聞かされながら。


街の最果ては雲海に面している。
しかし それは遥か彼方に遠く。この街の人間が権限を持たずして外界の空に触れる事はない。

彼は言っていた。


我々の住む世界は…いつの頃からか、空と地上から隔離され。誰かが理想とする何かを実現するためだけに。ただ…人々を呑み込んでいき。やがて、人間 一人一人が、それぞれに確立していくべき生き方すら…束縛するようになったらしい…。

まるで人事のように。
 
思い返せば、見てきた街の様子が その裏付けをしていると気付く。
しかし、どうして わざわざ そんな話し方をするのか。
ある時 少年は尋ねていた。すると…。
「笑わないでくれるか?」
微かに苦笑いしながら。
「私は…」
躊躇うように。彼は繰り返したのだ。
「私は…」
一息 置いても まだ足りず。彼はそのまま黙ってしまいそうだった。
そのため少年は彼の言葉を促すために言った。
「大丈夫…」
何の根拠もない言葉を。
ただ、男の胸の内に触れるためだけに。
すると男は、少年の肩に すがるようにして足元に跪き、声を潜め、耳元で囁いたのだ。
小さく…小さく。その声は少年の耳にしか届かなかったが。
吹き込む風の音と共に。少年は確かに記憶していた。 
 
『私は… この世界の人間である事を…望んでいないからだ』 という…
 
この世界の幾人が抱いているやも知れない その思いを。 
そのため 街を渡り歩いていた最中も、気掛かりでならなかったのだ。
 
この世界は狂ってしまった。いや、狂わされたんだ…。
貴方なら その名も知るところだろうが。かつて新人類と共に戦った英雄から『NOA』の照合を剥奪した あいつ…。あいつが この世界に目覚めてしまったがために、この世界の人間達は 既に腐りはじめている。だか しかし、私はその中の一人にはなりたくはない。
そう、私は人間でいたい。
 
『…人間でいたいんだ…』
 
ある時 聞いた彼の言葉が、脳裏に焼きついて離れない。
これまでに見てきた光景が、男の話の全てを裏付けるものだと思うと 増してや。
少年は 悲しかった。
 
目に留まった人々、彼らもまた、遠く…遥か遠くを見て、まるで違う世界に立っているように存在している この世界。
なぜだ…。なぜ人が その生き方や能力、地位などで分け隔てられなければならない…。
そう思えば、男の話が真実を語るものだと実感する。
答えは既に見えていた。それゆえ。
少年は ひたすら男の背を追い、歩き続けて。賑わう街を抜けた とある場所、彼が先に その足取りを留めたところで、ふとした考えを口にしたのだった。
 
「…舟に乗るに相応しい人間の生産…。それが アレの目的でしょうか…」
 
あえて その名を示さずに。
たが、男が待っていたのは正しく その言葉だった。
彼は少年を振り向き、ただ一つ頷いて答える。
「おそらく…」
幾重にも渡る この街は、その実験舞台。
「しかし この世界の人間は かつてを知らないため、最高層を追われた私が言う事などは…所詮 戯言。ただの被害妄想だと言われるだけだった…」
けれども中には変わり者もいたもので。
彼は遠くを見て続ける。ただ一人、あの男だけは違ったと。
「あいつだけは…私の話に興味を持って、それを信じた。おかげで先日、ようやっと貴方との対面が叶った訳だが。私には まだ託された仕事が残っている…」

外れを囲む廃墟から この場所まで、決して近いとは言えない距離。
この世界の全てを見せるとまではいかなかったにも関わらず。少年は男の意図を理解し、そして、男も またそんな少年の話に確信を持って言葉を交わしていた。
この少年こそ正しく…かつての戦いを治めた『王』の『妃』だと。
 
それは、雨が降り出す直前の事。
この世界を成り立たせる何もかもが、人の手によって管理されているという事実ならでわに。決して外れる事のない気象予報が メディアの各部から発信されてから、数えて六日目にあたる。
男の言葉を信じた一人の力で用意された道も、そろそろ終わり際に差し掛かっていた。
  
そして男が しばし沈黙した…同時刻。
二人が通ってきた街角。細い路地の裏手。
人通りの少ない各所で少年が目に留めてきた何人かが、遠くを見ていた その瞳を ふっと閉じて、それぞれに微笑み、動き出したのだ。
 
一人は 股際でカットされたパンツに、膝丈のコートを羽織る少女。
一人は 丈の短い黒のジャケットを着込み、インナーの裾を気にする小太りの男。
一人は グレーで揃えたシャツとパンツの若い男。…他にも数人。
少年といる男の声を携帯電話で受信し、耳の奥に差し込んだ最小型のイヤホンで聞き。
ある者は その手に、ある者は上着の内ポケットに、それを畳み納めて。彼らは歩き出す。
 
降りだした雨と共に…。
 
「あと少しだ。あの柱もとまで行けば…迎えが現れる」
男は言った。
これで ようやく、この世界を変えるための第一歩が踏み出せると。
すると、傍らを歩く少年の他に それを聞いていた一人が、どこかで ふっと笑い、男に語りかける。
 
「それにしても驚いた。まさか お前の言っていた『Queen』って奴が、まさか そんなガキだったとはな」
しかも どうやら気付かれたか…見つめられた時なんかは もっと驚いたがな。その一人は更に続けて言った。そうすると、また どこかで少女が呟く。
「お喋りね。あまり口を動かさないでょうだい。いくら独自に簡易ラインを用意したからって 気付かれたら厄介よ…」
一人が二人に。男が聞いていると、会話は まだ続いた。
「なぁに。どうせ今頃 血眼で探し回ってる頃だ。黙ってたって そろそろ降りてくる頃だろうぜ…奴らはな…。政府機関の どの部隊が現れるか楽しみだ。中には お前の友達もいるかもな」
「笑ってるの? バカね…。私みたいな人間が何人もいるのよ?」

ああ…そりゃあ 怖ぇ…。
聞いていた何人がそう思ったか知れない。
しかし少年といた男は 呆れて物も言えなかった。
人が何日も飲まず食わずで ようやく ここまで辿り着いたというのに。
いくら知り合って間もないからとは言え…いい気になりやがって。
正直なところ、張り倒してやりたいとまで思った。
そのため一言だけ言っておくとする。
「そう思うんだったら二人とも…黙ったらどうだ…」
誰に似たんだ? お前達のリーダーか? と、余計な皮肉など おまけに付け加えたりなどしながら。
すると、耳の内側が シンと静まり返る。
だが、少ししてからだ。聞き捨てならなかったのだろう。
また あの お喋りな一人がボソリと言って返してきた。
「…あいつと一緒にするな…。ロジャーは…あいつは、俺達より ずっとイイ奴だ…」
皮肉を まともに喰らった若者の反感。しかし、対する主張は意外と真っ直ぐなもの。
それはもう、聞いていて気持ちがいい程に。
だが念の為。男は言った。
「まあ 嫌わないでくれよ。本を正せばお前達のお喋りのせいだ」
「ああ 分かってる。悪かったよ…」

少年は その時、傍らの男が ふっ と笑うのを見た。
二人とも? 黙ったらどうだとは、はたして誰に宛てた言葉なのか。少々首を傾げつつ。
すると男は ただ前を見て足取りを進めながら、横から見上げてくる そんな様子の少年に、耳の内側が うるさくてな…と言って、また一つ話を加えた。
「私の弟だ。他にも何人か」
それは、第三者の存在を明かすもの。
「どうやら連中…貴方の事が気に入ったようだ」
聞けば、思いあたる場面が少年の脳裏に浮かぶ。
街で すれ違った その瞬間。どうしてか その様子が気に掛かり、足取りを留め、振り返ってまで目を配ってきた者の何人か。きっと彼らの事だろう。
聞いて納得。少年は思った。
だが、男の話に思わず 一つ二つ頷いてから、少年は シドロモドロ。
 
「気に入ったようだ」と言われたところで「うん うん」と頷いたのでは、普通 勘違いされる。
当然の事。焦った…。
 
そのため 慌てて話題を切り替えてみるのだ。
「ところで ウルフ…。その弟さんの名前は?」
だが、はっきり言って大した話の振りではない。
と、言うか…。
世間話か? ウルフと呼ばれた男は思わず少年を見て歩いた。
すると少年は 何とも恥ずかしそうに下唇を噛んで下を見る。
様子だけ一見すれば まかり間違いなく ただの少年。
しかし、あまりにも長い事 そんな普通の会話が無かったため。
少年は この世界事情の次に、気に掛かけていたのだ。
そのため、小さく言ってみる。
「その… えっと…。この世界では まだ…貴方の名前しか知らないから…」
 
無理もない話だと思った。
ウルフ…彼は、この世界に目覚めて間もない、そんな少年の事情を この世界の誰よりも知っていたからだ。
 
シャングリラの最高層にして、政府の官僚達を総督する『神官』の地位を持った人間達が住まう…公使教会堂。
彼が まだ そこに居て、『理想的人間の在り方』を哲学し、この世界を創設させた『計画』の真理を追究していた頃の事である。
何かがおかしいと気付き始めた彼が、気狂いを起こしたと 追われるようになるより以前の話だった。
 
『このままではいけない! 貴方々が求める理想世界、人間の在り方。今現在 進められている計画に伴う代償は あまりにも大き過ぎる!』
 
本来ならば面を合わせる事すら叶わないはずの神官達の聖域に押し入り、そう彼が進言した時だ。
 
『愚かなり哲学者よ。下等な問題ぞ…。元来 人というもの、夢を見るためには眠りに着かねばならぬ。それだけの事。容易なはずではないか…』
 
奴らに突きつけられた その言葉と、一つの真実から。
彼はブルーメタルの『王』と、四人の『妃』の存在を知ったのだ。


<III>


『理想都市計画』 ―――。
それは 人類が手にしてきた繁栄の代償として、かつての人々が地上に別れを告げる時を迎えた頃から、既に始まっていたという。
人類が犯してきた過ちと 争いにより、星が…狂ってしまったがために。
文明の総力を挙げて舟を造り、星を去らねばならなないと。
そう誰かが告げた…その時から。

そして、それを告げた誰かに与えられた称号が… 『NOA』 …。
 
しかし、人類が一度 星を離れてから、また、どれ程の星々が生まれ、うち、どれ程が塵となって闇に還っていった頃か。
再生を果たした星への帰還を望んだ人類は、またしても争わなければならなかったというのだ。
 
ある時 ウルフは少年の先に立って、その足取りを止め、考えた。
少年が そんな彼の背後から見上げれば、ようやく辿り着いたそこは、巨大なビルにも相当する規模の…青き柱もと。
ウルフと並んで立てば、目の前から柱の側面までの吹き抜けを、地上からの風が 上へ上へと立ち昇る。
そして それは湿り気を帯びて、傍らに居る二人の周りで道草をするように 踊り回り。ウルフは その時、そんな風に触れるようにして手を伸ばした 少年の手のひらを見て思うのだった。
 
その手は かつての戦いで、どのような『力』を示したのか…。
一度 星を去った旧人類と、再生を果たした星が 新たに迎えた 新人類との間で…。
 
旧人類程の文明を持たない新人類は、ブルーメタルで形成された機械兵器に成す術も無く、侵略を拒む事は出来なかったというが。
そんな新たな命の脆さに尊さを憶えた かつての『NOA』が、せっかく 戦の終止を旧人類に求め、導こうと試みたものを。誰かが そんな彼の意に反し、人々に向かい、言ったというのが また…ふざけた話なのだ。


我ら この舟に乗る者こそ、星から旅立つ時 選ばれし 光の民…!
我ら この舟に乗る者こそ、この星で理想世界…『シャングリラ』を築くに相応しき民…!

それを言った誰かが いったい どんな奴で、どれほどの自惚れようだったかまでは知らないが。
旧人類を惑わせ、操り。かつての『NOA』から その称号を奪い去った そいつのために。
この少年は これまで どんな思いで戦い、今また…どんな思いで ここに立っている事か、思い余る。
 
人は争い過ぎたのだ。
そのため、もう争う事のないようにと 誰かが考えたのも無理はないが。
それにより始まった『理想都市計画』というものには、人として許しがたい問題があったため。
彼は…ウルフは、神官達に追われる身となっても まだ、知り得た真実と、ここに居る少年の存在を この世界に生きる人々に知らしめなければならないと考えたのだ。
最高層政府の意図する催眠から、人々の目覚めを図るために。


『King』 そして 『Queen』―――。
それは、かつての『NOA』が称号を剥奪されてなお、新人類側に身を寄せ、共に戦った際。旧人類の舟から持ち出したとされる 強大な戦闘性ブルーメタルと、それを補う四つのプログラムメタルに与えられた『名』を示すものである。

少年を見つめるウルフは その時。降りだした雨の一粒一粒が少年の着る衣服に染み渡り、下から肌が透き上がる様子に気が付いた。
柱の青い光を浴び、髪の先から雫を滴らせ。それでも少年が身震いする事はなかったが。
雨に透けるほどの薄着では、相当に寒かったはず。
彼は それまで気付かずにいた事を恥じた。
そのため、彼は自らの肩布を払い、手に取ると、そっと…傍らに立った その小さな体に巻き掛ける。
 
少年…彼のために用意できた体は、それ一体のみである。
出来るなら自分の身を捧げたかったが、意識精神の定着した体は媒体として不向き。
ウルフは知っていた。
『Queen』…少年の内に納めた存在である そのものが『力』を発揮するには、空の体が必要だったのだ。
そのため、余計にも 幼く未発達な その身を気遣わねばならなかったはずが。今更ではあるが…。
ウルフは少年を見て はにかんだ。
すると少年は、そんな彼を横に見上げながら、そっと微笑み返すのだ。
 
与えられた温もりに。躊躇いもなく、真っ直ぐに。
ウルフの気遣いを、人の優しさを、ただ… ただ 懐かしむように。
少年の体は、『Queen』の意識 そのものを現した。 
 
しかし、ウルフが用意した それ自体、彼が最高層の最奥から奪い去った『Queen』と並び、この先も重要なものとなるため。
笑みを交わしながらも、彼は事の外 油断ならなかった。
現時点で その事を知るのは、少年と居る彼自身と、最高層の人間。
そして…彼が言っていた、ある男のみ。
 
そのため、ふとして少年が上空を見上げると。その視線を追って上空を仰いだウルフは 少年の馳せる想いとは裏腹に、見上げた先の何かを睨むようにしながら…瞼に力を込めるのだった。
彼は、やがて現れるであろう 屈強の部隊を警戒していたのだ。
 
事は、降りだした雨と共に 運ぶはずだった。
しかし、沈黙は まだ続く。
 
先にやって来るのは あの男か…それとも 奴らか。
雨を その身に浴びながら、ウルフは胸の内で案じていた。

そして、それと重なる状況下。時を同じくしての事。
そんな二人の様子を遠目に伺っていた 誰かが言った。
 
「おい。まだかよ…」
「黙ってろ。少しくらい予定がズレるのは いつもの事だろうが」
「いや。でもさ、奴ら とっくに気付いてるはずなのに…」
 
遅すぎやしないか? 奴らにしても…。 ロジャーにしてもさ…。
 
柱を囲むメンテナンス パレットの一角にて。
その日の交代時刻に合わせて やって来た技師は、彼らの足元に うつ伏せで倒れ、微動だにせず。
厚いガラス一枚を隔てた屋外では、雨が…降り続いていた。 
 
『 サーーーーーーー… 』
 
中層市。オルビアス街区。 Pillar−No. 3 …。
 
実のところ 人手が足りない。
ウルフと少年を含め、彼らが そこに居られる時間は…あと 僅かだった。



…to be continued
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